あかり

あかりの事、どこまで書いたかな
忘れちゃったよ
あかり。
平成14年度7月26日
私の子になりました。
亡きチビ助の病院で見た冊子で、他国の犬のシェルターの事を知り、
釧路は?と、気になり、保健所に問い合わせた事が、出会いの始まりでした。
その頃、まだ、今のような、譲渡を目的とした道のネットワークなどなくて、
保健所では、あまり収容されない。ままり処分されない。と、話していました。
あまり、、とは、ない事じゃないと感じたので、
処分には忍びない子がいた時に連絡くださいって話したんだ。
そんな電話をしてから連絡をもらったのは、すぐの事だつた。
引っ越し理由で保健所に連れてこられた話だった。
かん高い声で吠える。
目も鼻も赤い事から、妹が、あかりだね。って。名前を、つけた。
譲渡を、考えてたけど、お世話をしてくれてた父が気に入り、譲らないって言った。
私も気に入っていた。
あかりは、とてもいい子なんだ。
私は、手術しない派たった。
ノンリードで、囲いの中だったし、病気でもないのに手術する事が嫌だった。
その後に保護した子が、子宮の病院になり、
避妊手術しなきゃという気持ちに 変わった。
手術日を決めた直後、あかりは、子宮蓄膿症になり、手術するも、敗血症をおこし、抗生剤が効かなくて、あかり、大変だったんだ。
なんとか、残された最後の抗生剤1つが効いて退院できた。
元気なくて、ご飯を食べなくて、、
そうしてるうちに、台所でご飯を用意してるとこにきて、欲しいって、立ち上がってくれた時の事を思い出す。
あかりは、いつから、家の中になったかな、、
その時だっけな、、?
雷が怖くて、雨が怖くて、、
いつしか、自分の小屋に入っているのが嫌になり、車の中だと、安心していられたりするから、日中は、車の中にいた。
私が、よその猫に関わり、怖い病気の心配があってから、職場の外をあかりに歩かせたくなくて、、
あかりは靴を履かないし、コロンコロンと、寝たりするから。進への怖い病気の感染が心配だったんだ。
そんな事があったから、あかりは、お留守番、、って、一年近く留守番をさせてしまった。
あかり、、一緒に行きたかったかもしれない。
それでも、留守番の楽しみ、、
私が出かける時に、オヤツをあげるから。
バタバタ走って付いてくる。
私の行動をよく見ているんだ。
あのね、11月14日
あかりがなくなりました。
あかり、とても辛かったんです。
先週の土曜の夜にご飯を食べて、喜んだつかの間、吐いて、なんだか、様子かおかしくて。
日曜の朝まで、落ち着いて眠る事できなくて。
日曜の朝、病院に電話して、診てもらえて、
病院で、落ち着いていたあかり。
点滴して注射したことで、落ち着いたあかりを見て、よかったって思った。
痛みが少し出てきたのかな、、って思ってたから、座薬をさしてもらった。
帰ってから、痛くなったら、、って話して、座薬を出してもらった。
帰宅して、やっと頭を下ろし眠る事が出来た。
よかった。
寝ているのに、ほんの小さな声で泣いてる。
今のうちに、職場の犬のご飯をあげに行こう、、と、出かけた。
旦那から電話があり、あかりが泣いていると。
帰宅して、泣きがひどくなっていって、
時間をみて、もらった座薬をさして、
病院に電話して、きっと、かけ直してくれるって、まっていて、何度も電話するも、病院からの連絡はなくて、旦那が、何かないか、、って、ロキソニンを買ってきてくれて、
あかりの口に、、
だんな、噛まれて、、
あかり、ダンナを噛む気ではないんだ。意識があんまりハッキリしていない。
もう待てない。
あかりを連れて、病院に行ってみた。
病院は真っ暗。すこししたら、来るかな、、って、まっていた。
もう待てない。
帯広の病院に電話をした。
泣くあかりの声を聞き、ながい距離、動かしていいか、先生も考えてくれたが、私も悩んだ。
でも、明日まで、我慢させるわけにはいかない。
時間外になるのに、待ってくれるって言ってくれた。
帯広までの車内、ずっと泣いている。
病院につき、明るいところで見ると、あかり、唇を噛んでいた。
貫通まではしていないけれど、穴が開いていた。
そこまで、痛いかい、って、先生。
あかりの目。脳圧が高くなっていた。体温は35度、血糖値は11しかなかった。
ごめん。痛みもあるかもだけど、あかり、血糖値が下がっていたんだ。
エコーでみて、胃のなかがいっぱいだったんだ。
4日に吐いてから、シリンジでのご飯もシロップも、嫌がるようになっていた。
だから、シロップをあげる量が少なくなっていた。
それでも、最初の発作は出てなかったから、治るはずもないのに、大丈夫かも。なんて、思ってしまっていた。
土曜の夜の様子がおかしいのが、血糖値がさがっていたからだと考えずに、痛みが出てきた?と、考えてしまっていた。
ちゃんと、シロップをあげれていたら、、と、思ったり、胃の中が、いっぱいだったから、飲めなかったのも事実かもしれないが、
なら、病院で静脈に糖を流せてたら、、って。
そんな治療、続けてあげれるわけじゃない。
もう金もなくて、限界だった。
あかりには、痛いおもいだけは、させたくないって思っていた。苦しいおもいだけは、させたくないって。
安定剤をつかうときがきたかも知れないって。
それでダメだったら、安楽死も考えなきゃって、思っていたんだ。
日曜に、病院と連絡が取れなくて、
私は、あかりに、安定剤が欲しくて、
でも、それを使ったら、、って、、
でも、泣き続けるあかりを見ていられなかった。
帯広に走ったのは、安定剤をと思っていた。
でも、糖を流してくれて、痛み止めを点滴に入れてくれて、急に泣かなくなってやっと眠れたんだ。
そっか、血糖値のせいだった。って、帰ってから明日までの間に、、、って、私が、できるように、糖を出してくれた。
これで大丈夫。
朝に病院いって、糖を流してもらおう。って。
帰りの車の中、あかりは、グッスリ眠れて、私も、あかり、危なかった~行ってよかったって、笑って帰ってきたんだ。
釧路についた頃、あかり、また泣き出して、、
家に着き、今の時間に、糖を使えば朝までもたない?もっとたくさんもらってきたらよかった。
糖を使う。
それでも、あかりの泣きは治らなかった。
病院に電話した。
もう一度走ろうと思った。
もう電話は繋がらなかった。
安定剤、なんでもらわなかっなんだろう、、
朝まで、あかり、頑張れる?
大丈夫?
あかりの泣きが少なくなって、2時くらいかな、私、あかりを抱いて、
そしたら、私、寝ちゃったんだ。
4時半くらいになってた。
あかり、しんじゃってた。
あかり、ごめん!
一緒にいたのに、ごめん。
あかりに、頑張らさせすぎてしまった。
私が一緒にいたいだけに、頑張れ頑張れって、
もう限界って声をわかってあげれなかった。
たくさんの後悔があります。
あかりが大好きで、急な病気に、心の準備ができてなかった私に、あかりは私のために頑張ってくれたのかも知れない。
こんないい子なのに、こんな辛い病気になぜならなきゃならなかったのか?!って。
あかりの葬儀もおわり、フワフワのあかりに顔をうずめる事が出来なく、抱っこする事も撫でることも出来なくて。
進がなくなり、あかりがなくなり、何をしたらいいのかってわからなくなります。
ダンナは、その時間を他の子に、、っていうけれど、進との時間も、あかりとの時間も、ぽっかりあいてしまった。
あかりと出会い、15年。
人の赤ちゃんなら、生まれてから15歳になった。
知人の子供さんが、ちょうど15歳。
大きくなったなって、思ったとき、おかぁさん育てたねって思った。その月日を想像した。
私もあかりのおかぁさん。
あかりは、赤ちゃんじゃなかったけれど、あかりと過ごした月日は、あかりがいて当たり前の毎日になっていて、、、
でも、あかりは、いつしかとても年を重ねていたんだ。
もう頑張れ頑張れって言える年齢じゃなくなっていた。
あかりの飼い主になれて、私は最高に幸せでした。
あかりには、もっともっと、、と
至らない飼い主ではありましたが、本当に大好きでした。
あかり、私の子になってくれて、ありがとう。
頑張らさせてしまい、本当にごめんなさい。
また会いたいです。
ギュッと抱きしめたいです。
あかり、ゆっくり休んでください。たくさん笑って沢山食べてください。
あかり、ありがとう。
あかりに、
病院から。
母と姉から。
妹から。
一緒に泣いてくれるコトラちゃんのおかぁさんとおねいさん、、
いつも助けてくれるyumiさんと、黒猫応援団のママより。
ありがとうございました。


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